書店がどんどん減っていくなかで、奥渋谷の本屋「SPBS」は10年間「生き延びて」きた。そして、さらにここからは店舗数を増やしていく計画だという。「本が売れない」と言われるなかで、書店はいかにして生き残っていくのか? 「守り」ではなく「攻め」に転じるSPBSの勝算はどこにあるのか? その戦略を福井代表に聞いた。
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編集・構成=竹村俊助+矢田部明里(WORDS)
インタビュー写真=横尾涼
「奥渋谷」というエリアをブランディングする
なぜ「奥渋谷」という場所を選んだのか?
本当は、原宿とか代官山とか表参道あたりに出店したかったんですよ。東京の流行の最先端をいくような場所に。
ただ、これらのエリアは本屋を経営できるような家賃相場ではありませんでした。もう、迷う必要もないくらいに高額だったんです。そこで、狙いは最初から「第2候補」としていたエリアになりました。具体的にいうと、池尻、千駄ヶ谷、奥渋谷です。
いまでこそ「おしゃれエリア」になっていますが、2000〜2005年当時「奥渋谷」というエリアに注目している人はあまりいなかったと思います。
たまたまぼくはかつて、同エリアの「元代々木町」に住んでいたこともあって、奥渋谷は土地勘のあるエリアでした。街の空気を知っていたんです。
実際に住んでみると実感しますが、奥渋谷は交通の便がいい。小田急線を使えば5分で新宿に出られるし、地下鉄千代田線に乗れば六本木も近いし(乃木坂駅利用)、渋谷には、歩いて行ける。すごく交通の便がいいところなのに、なぜか垢抜けないところがある。
当時ぼくは、その状況を見て「このあたりは、実力を発揮していない街=魅力がまだまだ理解されていない街」なんじゃないかと感じていました。つまり、この街にはまだまだ「伸びしろ」があると思っていたんです。
だからこそ、最終的に「神山町17-3 テラス神山」を選んだ。野生の勘ですね。
ただしここに出店して店の経営を軌道に乗せるには、絶対条件がありました。それは、街自体が盛り上がっていくことです。ぼくたち1店だけが経営努力をしても、店を持続していくのは無理だろうとは思っていました。
マスコミも「地域性」の時代
ぼくは2007年当時、これからのメディアのキーワードは「地域性」なのではないかと考えていました。「大マスコミ」が大所高所から情報やオピニオンを伝えるだけではなく、地域に根ざしたローカル色の強いメディアが、各地で地元の情報を地元の人のみならず全国に向けて発信する。そんなふうになると思っていた。
ぼくもマスコミにいたのでよく理解しているのですが、マスコミには「地域色」が乏しいんです。作り手の顔の見えないものを、顔の見えないお客さまたちに売ってきたのがマスコミだった。
けれど、AKBが「会いにいけるアイドル」として人気が出たように、これからは地域に密着した“顔の見える”マスコミが信頼される時代になるだろうな、となんとなく思っていたわけです。
いくらメディアで取り上げられた有名店だからと言って、それだけではお客さまはなかなか通ってはくれません。お店が地域に根付いて、地域自体がお客さまで賑わっている。そうなっていかないと、SPBSは立っていけない。
そのためにも、地域の人々から必要とされる、人々の日常の役に立つ本屋にならなければいけない。そう思っていました。あわせて、街おこしにつながるようなイベントもやらないと、と思っていました。
店名に「SHIBUYA(渋谷)」と入ってますが、地域性というのは今後生き残っていく上で大きなポイントになると思っているのです。
本屋を「精神が満たされる」場所にする
地域に密着した喫茶店や飲食店は生き残っていけます。シンプルに、人は生きるために、かならず飯を食うから。ご飯も食べるし、飲み物も飲む。24時間のあいだに、飲食にかならずお金を使うんです。
それに対し、本は読まなくたって生きていけます。だから、仕入れた本を店頭に並べて普通に販売するだけでは、なかなか本を買ってはもらえない。単に出店しても、飲食店や衣料品店などに淘汰されてしまうでしょう。よって、本屋が必要だと思われるためには「地域の役に立つ場所」だと感じてもらわなければならないんです。
人間は「衣食住が満たされていればしあわせ」という動物ではありません。精神的にも満たされないとしあわせを感じられない。だからこそ、読むことで精神を充足させてくれる「本屋」が人間にとって必要不可欠な場所になる可能性は充分にあります。
極端な話、「悩み相談所」でもいいんです。とにかくいままでの売り方とは違う本屋を早く確立する必要があると思っています。
本屋は人と情報と文化の「結節点」
本屋は、単に本を売る場所ではなくて、町のなかにある人と情報と文化の「結節点」だと思うんです。そういう本屋の本質的な役割をきちっと果たしていけば、生き残る意味があるはずです。
堀江(貴文)さんも言っていましたが、コミュニティをつくる上で、半径2キロ圏内の「スナック」と「書店」と「地域メディア」は相性がいい。なのでぼくはいま、スナック(『スナックSPBS』)を実験的に営業しているわけです。
今後SPBSが出店する際は、スナック、本屋、メディアの3点セットを設けたいと思っています。単純にモノを売るだけではなく、コミュニティマネージャーを中心にしてコミュニティもつくっていくのです。
繰り返しますが、その土地で本当に必要とされる店をつくることが大切です。そんな店を10店舗くらいつくったときに「ああ、やっぱりSPBSっぽさってこうだよね」ということがみんなで共有できればいいなと思います。
つねにチャレンジし続ける姿勢が重要です。最先端であり、実験場であり、挑戦者。SPBSという場所は常にそうありたい。「知性が生まれる実験場」でありたいんです。
パーキンソン病と闘う
本屋の経営は、甘くはありません。目標を高く持ってやっていかないと、現状維持もできないだろうなと感じています。
SPBSは本屋でもある一方で、「新しい価値を創造する」企業でもあります。ぼくはSPBSを、一代で終わる「個人商店」みたいな感じにはしたくない。きちんと企業としての土台をつくり、資金を貯め、常にさまざまなことにチャレンジし続けたいと思っています。
チャレンジと言えば、実はもうひとつ、個人的に大きなチャレンジがあります。それは、パーキンソン病の“根治”です。
パーキンソン病は主に50歳以上の中高年に見られる進行性の病気で、手足のこわばりといった軽い症状から、最悪の場合は寝たきり状態になることもある、現代の医学では完治が困難な難病として知られています。
ぼくは2015年の暮れあたりからこの病気に罹り、定期的に国立・精神神経医療研究センター病院に通院しています。
正直、病気のことが発覚したときには、会社の倒産危機のときにも感じた強力な「負の磁力」に満たされました。“引退”も考えました。
「もう、自分の仕事人生は終わった」と思ったし、これまで充分に働いて体を酷使してきたのだから、あとは南フランスにでも行って、のんびりゆっくり休むのがいいのではないか、とも思いました。
しかし調べてみると、現在この難病には日本国内に16万人の患者さんがいます。なのに、なかには「自分の出世に関わるから」とオープンにできない人もいるようで、なかなか厳しい現実があるようです。
「多様性の時代」とは言いながら、いまだ現実は難病を隠して通勤する人がいて、難病を受け入れない会社がある……。
ぼくのような立場の人物こそが病気のことをオープンにして、通常どおり勤務することが大事なのではないか。そして、わずかな可能性であっても、根治に向けて治療を続けることが同じ病気で苦しむ人を勇気づけることにつながるのではないか。そのように思い始めました。
現代医療の進歩は目覚ましいもので、つい先日、iPS細胞から育てた神経細胞をパーキンソン病患者の脳に移植する手術を、京都大学が世界ではじめて実施しました。このまま2年間経過観察をして異常が見つからなければ、この病気の根本治療への可能性の扉を大きく開くことになります。……ぼくはいま、これまでに味わったことのないようなウズウズした気持ちがしています。
ぼくはSPBSで、半ば不可能を可能にしてきました。この先経営も、病気の治療も、不可能を可能にしてやろう! という意欲で満ち満ちています。
全国のパーキンソン病患者のみなさん! まだまだいけるぜ、エブリバディ!さぁ、一緒に行こうぜ、エブリバディ!! 今日も『EASY GO!』でいこうぜ、エブリバディ!!