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本屋を始めたはいいものの……お金がない!―編集長が聞いた! 奥渋谷の本屋「SPBS」の秘密<2>

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本屋を始めたはいいものの……お金がない!―編集長が聞いた! 奥渋谷の本屋「SPBS」の秘密<2>

本が売れないと言われる時代に「本屋を始める」ことほどリスキーなことはないように思える。しかも、場所は渋谷の奥地。当時は「奥渋谷」という言葉すら影も形もなかった。そんななかSPBSは産声を上げた。
はたして当初から「勝算」はあったのだろうか? SPBSの秘密に迫る連載の第2回。福井代表に話を伺った。

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編集・構成=竹村俊助+矢田部明里(WORDS)
インタビュー写真=横尾涼

「儲けよう」とは考えていなかった

 SPBSを立ち上げるときから「儲けよう」とは考えていなかったんです。いや、正確に言うと、「儲けよう」というより「儲かる」とは思ってなかったんですね。普通にこれで生活していければいいや、くらいに思っていました。
 いまでこそ「奥渋谷」という呼称はひとつのブランドになっていますが、SPBSが出店した2008年当初、このあたりには、本当に人の数も店の数も少なかった。どう考えてもこんなに人通りの少ない場所に、出版する本屋を起ち上げようなんて人はいませんよね。
 ひとことで言うと、バカですよ。いくら本と本屋が好きだとはいえ、街の将来性だけを信じて、あったらいいな、という本屋を大金を使ってつくっちゃうなんて。でも、世の中にはそういうバカが一人くらいいた方がいいんです。バカが世の中を面白くするという一面はあると思うから。

SHIBUYA PUBLISHING & BOOKSELLERS 代表 福井盛太

 SPBSには、出資金以外に、ぼく個人として借り入れたお金もつぎ込んでいます。お金をかけてつくった分、減価償却費も大きくて、いまだに株主配当はゼロ。堀江(貴文)さんには本当にすまないなぁ、という気持ちでいっぱいです。
 創業1年目〜3年目くらいは本当に経営が苦しくて、何度も渋谷区や東京都の制度融資のお世話になりました。毎年12月になると、「今年は年越せるかなぁ」なんて思いながら、心ここにあらず状態で仕事をしていた。親戚にお金を借りたこともあります。

「このままじゃあ潰れる」。はじめて尻に火が付いた

 本は売れないし、期待していた出版物も利益が出ず「これ、どうするんだ」という状態がずっと続きました。
 たぶんどこかに甘えがあったんだと思います。「堀江さんがいるから、いざとなったら彼が助けてくれるのではないか?」という甘えが。
 創業何年目だったかは忘れましたが、どうにも苦しくなったときに、知り合いの社長に500万円の出資を相談したことがあります。さらに、これまでお世話になった方々に「お金を入れてもらえませんか」と頭を下げて回ったこともあります。極めつけは、ある人を間に挟んで追加の出資を堀江さんにお願いしたことがありました。
 それはもう、即答でした。「NO」です。もう、これ以上やっても利益が出ないんなら潰れても仕方がない、という判断なのだと思いました。
 そのとき、心が折れそうになったのは事実です。ぼく個人としては、出せるお金はすべて出してしまっているし、頼れる人は誰もいない。しかも自分がやろうとしているのは、“業界的に新しい事業”だとはいえ、出版と本屋という不況業種の組み合わせです。どう考えても茨の道が続くのは見えていました。

開業時のスタッフ、協力者たち

 そんなときです。毎日毎日コツコツと働くスタッフの姿が脳裏に浮かんだんですね。本が好きで、そして、SPBSの価値観を信じて、社会人人生の一部をぼくに委ねてくれたスタッフのことが。
 当たり前だけど、もうぼく一人のものじゃあないんです、SPBSは。ここにはいろんな人の想いが詰まっているし、いくばくか出版や本屋の未来を背負ってもいる。そう考えたとき「もうこれは、やるしかないだろう」となりました。
 そこからですね、心に火が付いたのは。完全にやる気スイッチが入った。で、お金になることにいろいろ取り組むようになったのです。
 自分たちのオフィスを「シェアオフィス」として外部の方に貸し出したり(当時はまだ、“シェア”なんて言葉は流行語でも何でもなかった)、店頭イベントを無料で開催したり(これも“フリー”の先駆けですが、やってる当人は、そんな意識はまったくありませんでした)、編集ワークショップなど、濃い人間関係を築くことのできる勉強会を行ったり(いまでいうコミュニティ型ビジネスです)、お店のMDを見直したり……。とにかくこの店を潰してはならない、という気持ちだけで、必死でした。


開業時は年代別に本をセレクトした「年代棚」があったり、アートブックや写真集が多く並べられていたりと、今とは品揃えがだいぶ異なる。しかし、余裕のある空間使いがもったいなくもあった

 

店の認知を上げるために考案された「イベント」

 たとえばラーメン屋さんの経営なら、その成功の方程式は、とてもシンプルだと思うんです。とにかく味。まずは看板メニューの製作に集中して、美味しいラーメンをつくって、それをお客さんに提供する。もちろん競争は激しいですけど、美味しいものをつくってきちんとお客さまに提供することができれば、その美味しさが口コミやSNSで広がって、食べていけるようになるんだと思うんです。
 でも、出版や書店はそこまでシンプルじゃありません。飲食店のような利益率は望めませんから、魅力的な品揃え、計算されたMD、本以外の売り上げなど、いろいろ組み合わせていかないと経営が成り立ちません。
 時間は前後しますが、創業から数ヵ月経ったころのことです。相変わらず客足が伸びなかったので、「イベントをやろう」と考えました。待ってても来ないのなら、来ていただくしかありません。で、駅から遠いこの本屋までわざわざ足を運んでいただくためには、わざわざ行きたくなるようなイベントを組む。それがSPBSには必要だろうと。イベントを徹底的にやって、まずは店の認知度を上げる。そういうことの積み重ねこそが、集客アップにつながるのではないかと判断したのです。
 イベントはホスト、もしくはホステスをたてるかたちで運営されました。『Numero』編集長の田中杏子さん、FPMの田中知之さん、BACHの幅允孝さん、料理研究家の来栖けいさん、建築家の中村拓志さんなどがホスト(ホステス)になってそれぞれゲストを招き、トークセッションを行うというものでした。しかも、毎週無料で開催され、文字起こしももらえるという超お得なイベントでした。

2009年2月にルイ・ヴィトン・ジャパンの協力により開催されたイベント「ファッションとアートの関係を語る」。佐々木香さん(commons&sense編集長)、生駒芳子さん(ファッションジャーナリスト)、VERBAL さん(m-flo)らが登壇した

 ただし、いつまでも「持ち出し」でやるわけにはいきません。途中で有料制に切り替え、1,500円に価格設定しました。単行本1冊の価格がだいたい1,000円前後なので。それにワンドリンクもつけて、という計算です。
 そんなこんなでやっていたら、そのうち青山ブックセンターさんもイベントを1,500円で行うようになってきて、他のお店も1,500円が多くなって、いつのまにかデファクトになってしまった。下北沢のB&Bさんからも、SPBSの経営の内実についてお話しを求められるケースが何度かありました。一生懸命やってきたことが後々生きてくるのはうれしいものです。書店でイベントをやることは今では当たり前になりましたが、そうしたものの先駆けみたいなことはたくさんやっていました。

雑貨店〈SPBS annex〉の出店

 2012年春、渋谷ヒカリエShinQsに雑貨店〈SPBS annex(現CHOUCHOU)〉を出店しました。
 このお店を出店する少し前から、経営の状況も上向きになってきていて、出版や編集の仕事の勢いもよかったんです。「なんとなくいいなあ」と思い始めていたとき、突然東急百貨店の方たちが、飛び込みで営業に来られました。それで、「今度渋谷ヒカリエっていうオフィスと商業の複合ビルができるんですけど、そこに店をだしませんか?」と誘われたんです。
 突然のことで、最初は「なんだ?」と思いました。
 今後のSPBSのことを考えたときに「まだまだ先はわからないな」と思っていました。わからないんだったら、守りに入らないでこちらから攻めたほうがいい。そう思って、結果的に出店することにしました。
 社員からは大反対を食らいましたね。「なんで、まだ神山町のお店さえキチンと回っていないのにヒカリエに出すんですか?」って。
 それに対するぼくの見解は、こうでした。
 そもそもSPBSという会社は企画・編集の会社。本屋は、その事業の一部に過ぎない。だからこそ、今後いろんなものが手掛けられるようにならないと、この会社の成長はない、というものです。
 加えて、「全員が賛成するものはうまくいかない。反対されたものの方がうまくいく」という持論があったので、その持論にのっかったということもあります。
 そうして出店したのが〈SPBS annex〉でした。本当は「本屋として出て欲しい」というオーダーが来ていたんですが、ヒカリエならまだしも、「ShinQs」の1Fで本屋をやるっていうのはリスクが高いと思って、「逆にこちらから提案させてください」とお伝えしました。
 それが、現在のような女性をターゲットにしたポップアップ型のショップでした。結果的に〈SPBS annex〉ができたことで、またひとつSPBSビジネスの流れが変わったように思います。
 SPBSに大きな余裕もないなかでの新たな投資だったので、とても勇気がいる経営判断ではありました。
 結果的にこのSPBSの妹分の成功が、「何でも運営できるSPBS」という新しいフレームをつくり上げ、経営の自由度を広げてくれた。これは、後のSPBSの展開を考えたとき、とてつもなく大きな意味を持つことでした。

オープン当初の『SPBS annex』

 

*渋谷ヒカリエShinQs……2012年4月に東急文化会館跡地にて開業した複合商業施設「渋谷ヒカリエ」のB3F〜5Fフロアのこと。ファッション、ビューティー、雑貨、フードなどのテナントが営業している。カルチャー色の強い渋谷ヒカリエの8Fフロアとはカラーが異なる。

 
<最終回>に続く)

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