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SPBS10周年記念スペシャルトーク。「川上未映子の10年。日本文学の10年」(前半)

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SPBS10周年記念スペシャルトーク。「川上未映子の10年。日本文学の10年」(前半)

 

「今から考えると、顔の上半分が切れている写真が表紙なんて、ありえない」(合同会社SPBS福井代表)『ROCKS』創刊号のカバーに川上さんが登場してから10年。まだ何者でもなかったころの川上さんを知る、書評家の江南亜美子さんが、文学の、これまでの10年とこれからの10年をうかがいます——彼女と彼女の未来の記憶、前半は、創作の秘密と「世界の残酷」を前にした小説の機能について。

 

スピーカー=川上未映子さん(文筆家)、江南亜美子さん(書評家・近畿大学、京都造形芸術大学非常勤講師)

 

自分の才能を信じていないから、文体を変える

江南亜美子(以下、江南):『乳と卵』(文藝春秋)で芥川賞を受賞されたのが2008年で、まだ10年しかたっていないというのは、驚きですね。あらためて、最初の詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』(青土社)を読むと、才能の炸裂があるし、言語的にも力が横溢している。

 

川上未映子(以下、川上):同時期に始めたブログの文章もかなりの熱量だったけれど、人が読む、ということを意識するまではわりとふつうのテンションの文章だったんじゃないでしょうか。というか、人が読むということを意識した文章をそれまでほとんど書いてなかったですしね。

 

江南:どこかで、スイッチが入った?

 

川上:うーん。自分で入れたわけでもないし、誰かが入れたわけでもない……このように変わろうと思って変わったわけではないけれど、こういう風になったんだな、と客観的に思ったことはよく覚えています。

 

江南:そうなんですね。

 

川上:でも、逆に何も知らなかったからできたのかもしれませんね。文学を学んだことないし。

 

江南:『乳と卵』はストーリがしっかりあり、キャラクターも際立っている。(樋口)一葉へのオマージュもあるし、なにより時間の動かし方など、テクニックにみるべきところがあるんですよね。

 

川上:うん。自分の才能を信じてないから、作品づくりの姿勢がわりと優等生的なんですよ。前回これができなかったから、次、何をしなくてはいけないか、とか、初期の頃は書き出したりしていました。前作とは違うことをやらなければいけないというオブセッション(強迫観念)がありましたね。

 

SPBS10周年ということで、川上さんは黒の和装姿で登場。
会場はいつもとはひと味違う華やかなムードに包まれた

 

江南:『乳と卵』では、豊胸手術のことしか眼中にない巻子と、その娘で思春期を迎えたばかりの緑子という子どもが筆談でコミュニケーションを図ります。思春期に入り初潮を迎え、胸が膨らみ、陰毛が生えてくる自分の身体への不安や母親である巻子への批判を、日記に書いたり筆談で巻子に伝えるのですが、常に母親に対して言葉にならないわだかまりをもっている。その思春期の子どもの感覚は、後の『ヘブン』(講談社)や『あこがれ』(新潮社)にもつながっていきます。最初に、これを書こうと思ったのはなぜですか?

 

川上:プロットとか、登場人物とか、青写真を全部決めてから書くタイプなんですよね。どうせそれ以外のところが動きだすわけだし、そのためにも、そこだけはしっかりつくっておこうという程度のものだけど。で、『わたくし率 イン 歯ー、または世界』(講談社)を書いたときに、もう1回、わたしたちにもわかる言葉で話してくれないか、というようなことを読者に言われた気がちょっとして、なるほど、と思ったのを覚えています。

 

たまたま、『イン 歯—』は芥川賞の候補になったから、作品にたいする選評が読めた。で、さらに、なるほど、なるほど、と。テーマはもちろん自分の中から出てくるものなんですが、なぜ、物語の設定を2日半での出来事にするのかとか、語り手をどちら側にもつかないようにするとか、そういう、自分にしかわからない意図というか、理由みたいなものを考えるのは今でも好きです。

 

江南:このころのインタビューで川上さんは、詩を書くのは快楽だけれど、小説というのは闘って、闘ってようやく勝ち取るものだと、答えていますね。

 

川上:詩と小説を区別する必要はないと思うけれど、でも、明確に違いがありますね。当時は、詩は、再現できないもの、伝達も不可能で、ページを開いたときにしか、たちあがってこないような、ことばのすごく一番純度の高い何か、表現だと思っていました。

 

江南:そのあとも、詩はぜんぜん手放していないですよね。

 

川上:詩を書いていたから、小説を書く時は、詩とは違うものを書こうと。ただ、10年間文筆業に携わってみて、最終的には、このふたつが融合していくんだろうなと実感がわいてきました。あと10年経ったら、わたしは50歳ですが、50でそれができるかどうかはわかりませんが、57歳ぐらいでは、できるのではないか、今の自分の技術とこれまでのはかどり具合をみると、そういう感じがします。

 

みんないずれ死ぬ、そういう感覚が、すごくある

江南:2013年に『愛の夢とか』(講談社)で谷崎潤一郎賞を受賞されます。短編七つからなる連作で、いずれも切れ味が際立っています。手あかのついていない「孤独」や「死」のイメージがひじょうに切実に迫ってきます。

 

川上:ありがとうございます。

 

江南:なかでも巻末に収録されている『十三月怪談』の達成度合い、人称の移動などの完成度合いはすごいと思いました。文中に「前の日」という言葉が出てくるんですが、わたしたちは2011年に東日本大震災を経験し、今日は震災の前の日かもしれないという執行猶予の感覚を抱いている。それを丁寧に掬い取っています。やはり、あの震災は、この10年の中でも大きなことでしたか?

 

「まだ何者でもない」頃から川上未映子さんの才能に注目してきた江南亜美子さん。
川上さんとはプライベートで食事をする間柄だ

 

川上:はい。ただ、今でも、書くことはもちろん、震災について考えるというのはどういうことなのかというのが、わからないんです。何を、どうすれば、震災を忘れないことになるのか。考えることになるのか。『十三月怪談』の最後でも少し書きましたが、人は、災害や事故で死ななかったとしても、みんないずれ死ぬ、そういう感覚が子どものころから、すごくあります。このあいだ発表した作品「ウィステリアと三人の女たち」(『新潮』2017年8月号)もそういう感じですよね。三月の、いくつかの死。瓦礫、解体されていく家の記憶の話です。

 

江南:出産という個人的な体験もなにか影響していますか。

 

川上: 妊娠がモチーフの『三月の毛糸』なども、震災についての小説だけれど、書いてるときは、まだ妊娠もしてなかったですね。

 

江南:川上さんは、一方で、個人的な体験は小説とはあんまり関係ないんだということもおっしゃっていますね。

 

川上:ただ、『あこがれ』(2015年)くらいから、だんだん、フィクションとの距離の取り方に変化がありました。『あこがれ』はイノセントな世界です。母親とか父親とかは死んでいるけれど、基本的に血は流れないし、誰も死なない。これまでの小説では、あまり人が死ななかった。でも、次の短編集ではとにかくたくさん死んでいます。なぜかは自分でもわからない。でも、とにかく人が死んでしまうんです。

『あこがれ』を書いている時に、寝屋川市の中学1年生の男女のお子さんが本当に悲惨な事件にまきこまれて亡くなってしまって(*大阪府寝屋川市の中学1年生の男女が、45歳の男に殺害遺棄された事件。2015年8月)。苦しみや悲しみを共有できるはずのないわたしにとって、どうしても大きな事件だった。無責任さや距離も含め、色々な恐怖と悲しさにつながっています。

当事者が存在するということですよね。それは、いつか自分の身にもふりかかるかもしれないというような怖さではなくて、今この瞬間にも、誰かの身に必ず起きているということへの恐怖です。

 

江南:世界に今もそれが起きているということの、意味不明さというか—。

 

川上:はい。そして、身に起こるそのおそろしいことを、おそらくは誰ひとり望んではいないこということ。望んでいないことが起きてしまうということ。もともと出生することがそのような前提なわけだから、道理といえば道理なんだけれど。

そんなふうに人間存在や共感をベースにすれば、だいたいのことが善悪に振り分けることができます。けれども同時に、べつのレベルから見れば、それは、雨が降ったのと同じ程度のことかもしれない、そういう視点もありえます。人は他人の痛みなら2万年だって耐えられるし、個人の生死が数字になる側面もそうですね。

桐野夏生さんともお話しさせていただいたことですが、桐野さんは現実に起こっていることを、デフォルメしながら、世界の残酷さを書くことを引き受けていらっしゃると思う。わたしの場合は、子どもを産んだばかりの頃はとくに──それがどうしてもできなかった。もし、現実にあったかもしれないような、当事者を想起させるような悲惨な出来事をモチーフにして書くとしたら、どうしても、ケアの方向へ、鎮魂や祈りというか、そちらのほうへ振られてしまう。

 

江南:なるほど。

 

「人生が一度しかないということ。一回性。その意味がわからない。
それが、私にとって物を書く原動力なんだと思います」(川上)

 

川上:でも、小説表現においてはそれがベストだとは思っていません。わたしの場合に限ってですが、それは弱さなんだと思います。書くことの、リスクをとっていないことになる。読んだ人をそのまま勇気づけるような、そのまま慰めるものを書いてはならない。それはわたしの仕事ではないです。

 

江南:世界を書くんですね。

 

川上:でもまだ先になりますね。もっと書くための技術がいるから。

 

江南:そう謙遜されますが、小説固有のスキルを意識するタイプの書き手ですよね。また『十三月怪談』を例にとれば、夫婦がいて、死んでしまう妻の側の視点にシームレスに移動していく。もう肉体も主体もない、思惟というか、考えそのものが語り手となる。さらにそこで終わらないで、その先も書く。すごみを感じます。

 

川上:でも、まだ圧倒的に技術が足りません。

 

江南:川上さんの小説には、決定的に何かが失われてしまうんだけれど、それを回想することで記憶を再現前化するという構造がひじょうに多く使われます。

 

川上:ひとことではいえませんが、現実には起きなかったこと、起きたかもしれないこと。そういうものに対する想像が、書かせるのかなと思いますね。あと大きいのが、人生が一度しかないということ。一回性。その意味がわからない。それが、わたしにとって物を書く原動力なんだと思います。

 

江南:起きなかったこと、起きたかもしれないことへの選択肢があったとしても、このように生きてきたのだからといって、開き直ることもできるわけですよね。でも、川上さんは、選ばれなかった方の事ばかり考えてしまう。

 

川上:はい。そちらに、より大事なことがあるのではないかと思います。あきらめの悪さとも言えるかもしれませんが(笑)。

 

江南:小説のひとつの機能、文学が得意とする機能とは、それかもしれませんよね。

 

川上:その機能がすごくわたしにとっても大事だった。詩について、ことばについて、小説について考えることができて、本当によかった。ありとあらゆる偶然に感謝したい。そう思います。

 

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<プロフィール>

川上 未映子(かわかみ みえこ)さん / 文筆家

1976年8月29日、大阪府生まれ。 2007年、デビュー小説『わたくし率イン 歯ー、または世界』が第137回芥川賞候補に。同年、第1回早稲田大学坪内逍遥大賞奨励賞受賞。08年、『乳と卵』で第138回芥川賞を受賞。09年、詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』で第14回中原中也賞受賞。10年、『ヘヴン』で平成21年度芸術選奨文部科学大臣新人賞、第20回紫式部文学賞受賞。13年、詩集『水瓶』で第43回高見順賞受賞。短編集『愛の夢とか』で第49回谷崎潤一郎賞受賞。16年、『あこがれ』で渡辺淳一文学賞受賞。「マリーの愛の証明」にてGranta Best of Young Japanese Novelists 2016に選出。他に『すべて真夜中の恋人たち』や村上春樹との共著『みみずくは黄昏に飛びたつ』など著書多数。17年9月『早稲田文学増刊 女性号』責任編集を務めた。

 

江南 亜美子(えなみ あみこ)さん / 書評家、近畿大学、京都造形芸術大学非常勤講師。

1975年12月22日、大阪府生まれ。現代日本文学を中心に海外の翻訳小説まで幅広くカバーし、作品紹介を続ける。川上未映子責任編集『早稲田文学 女性号』にも論考を発表。共著に『世界の8大文学賞 受賞作から読み解く現代小説の今』(立東舎)、大澤聡編『1990年代論』(河出書房新社)など。

 

文=河村信

写真=森本菜穂子

モデレーター=谷口愛(『歩きながら考える』編集発行人)

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