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インターネット以降の世界に挑戦する小説家 ──物語をつくる人#01 平野啓一郎さん[前篇]

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インターネット以降の世界に挑戦する小説家 ──物語をつくる人#01 平野啓一郎さん[前篇]

人はなぜ、物語を求めるのでしょうか? 感動したいから。現実を忘れたいから。単に、暇だから。その理由は人によって、時と場合によってさまざまです。
しかし、いまは情報やコンテンツがあふれ、「小説が売れない」「映画が観られない」と言われる時代。それでも私たちには物語が必要なのか? そのことをあらためて考えるために、「物語をつくる」側の人たちの話を聞きたいと思いました。
 
連載「物語をつくる人」第1回でお話を伺うのは、小説家・平野啓一郎さん。大学在学中に執筆したデビュー作で芥川賞を受賞し、その後も次々と話題作や実験的な小説を発表し続けている平野さんが、小説を書く理由とは?
 
取材・文=志村優衣(SPBS)
写真=敷地沙織
 

本自体が異様なものに感じた『金閣寺』

──平野さんの最新作『ある男』*1の中で、「他人の人生を通すことで、自分の人生に触れることができる」ということが語られていました。これって、人が物語を必要とする大きな理由なのではないか? と感じ、この連載の第一回はぜひ平野さんにお話を聞きたいと思ったんです。今日はよろしくお願いいたします。
 
平野:よろしくお願いします。
 
──「物語をつくる人」というテーマではありますが、まずは、読者としてのお話からお伺いできればと思います。平野さんの物語の原体験を教えてください。
 
平野:実は、子どものときは、あんまり本を読むのは好きじゃなくて(笑)。でも、学校で「読め」と言われるので、仕方なく江戸川乱歩の『怪人二十面相』シリーズとか読んでいましたね。『青銅の魔神』とか、おどろおどろしい表紙に惹かれて、おもしろそうだなと思って読んだり。あとは、図鑑くらい。
 
──本格的に小説を読むようになったきっかけは?
 
平野:中学生のときに三島由紀夫の『金閣寺』を読んで、はじめて小説で衝撃を受けて。
 
──それまでに読んできた本とは、別格の何かを感じたのでしょうか?
 
平野:別格というか、なんか、異様な感じがしたんですよね。過剰にきらびやかな文体で書かれていて、それなのに主人公はとても暗い人間で。その暗い内面的な思索と、それを表現しているきらびやかな文体とのギャップが、コントラストを生んでいて。
 
それまでにも、(夏目)漱石とか(森)鷗外とか芥川(龍之介)とか、いわゆる日本文学のオーソドックスな作品は読んでいて、それぞれにいいと思ったこともありましたが、『金閣寺』を読んだときは、なんかちょっとこう……本を持つ自分の手自体が、異様なものに触れているような、すごい衝撃を受けて。寝食を忘れて読みました。それから、ほんとに本を読むのが好きになりましたね。
 
──そこから、三島の他の作品も読んでいって?
 
平野:そうですね。それから三島が影響を受けた作品──バルザックとか、フローベールとか、ドストエフスキーとかも読みました。それらを一通り読んで、もう一回『金閣寺』を読んだら、最初に読んだときより、すごく「わかる」気がしたんですよね。「これは、あの作家が、あの小説の中で言っていたあの話だな」とか。それで読書が有機的につながっていって、どんどんおもしろくなっていきましたね。
 
──作品同士のつながりが見えることがおもしろかったんですね。
 
平野:文学って、そういうものなんだって、そのときにはじめてわかったんですよね。文学という大きな森の中に、それぞれの作品があり、作品同士がつながりあっているんだなって。そうしたら、その文学の森を散策することが楽しくなってきました。
 

*1『ある男』……平野啓一郎さんの最新長編小説。「死んだ夫がまったくの別人だった」という奇妙な相談を受けた主人公の弁護士・城戸が、その真相を探る過程で、自分の人生や愛の本質について見つめ直していく物語。2018年文藝春秋刊。

 

 

小説の命は「文体」

──読者として好きになる小説は、どこに惹かれることが多いのですか? テーマなのか、ストーリーの展開の仕方なのか、キャラクターなのか……。
 
平野:物語に没入していくまでは、文体でしょうね。そこから、キャラクターとか、物語とか、惹かれる要素はいろいろあるけど、最後に「ああ、この小説好きだな」って思うのは、また文体かな。小説って、やっぱり文体が命だと思います。
 
──文体が、自分に合うか合わないかということでしょうか?
 
平野:合う、合わないもあるし、自分の中に良い、悪いのジャッジはあますね。
 
──平野さんの中で、「優れた文体」のベースになっているのは、三島由紀夫?
 
平野:三島も時期によりますよね。僕は、やっぱり『金閣寺』が最高傑作だと思うんですよ。だから、三島とはいい出会い方をした。最近あらためて、三島の晩年にかけての作品を読んでいるんですが、30代後半はスランプだったと言っていいんじゃないかな。だから、最初にそれを読んでいたら、あんまり三島に熱中しなかったかもしれない。
 
──出会い方が大事だってことですね。
 
平野:最初にハズレを引いちゃうとね、向こう3年くらいは、その作家の本は読もうと思わないですし、下手したら永久に読まないかもしれないですよね。
 

小説の根本を考え直す時代が来ている

──最近読んだ小説で、「これは良いな」というものはありましたか?
 
平野:いまの作家のですか?
 
──はい。
 
平野:うーん……。いまは、小説が難しい時代だということは、すごく感じますね、読みたいけど読めていない本もたくさんあるので、一概には言えませんが。
 
──「小説が難しい時代」というのは、読者のリテラシーの問題というか、わかりやすさが重視されすぎて、純文学などのわかりにくさが受け入れられづらくなっているから、ということでしょうか?
 
平野:そこは、あまり難しいとは思わないですね。それよりも、インターネットの登場以降、世界があまりにも激変していて、その変化に文学がついていけなくなっているからだと思います。インターネットって、単にコミュニケーションが便利になったとか、それだけの話じゃなくて、世界観自体を変えちゃいましたから。その新しい世界観をつかんだ上で小説を書くというのは、20世紀までに蓄積されてきた小説の技法とはまったく違うんですよね。
 
僕は20代の後半に、短編を書きながら実験を繰り返して、それを理解しようとしてきました。そのうえで、現代を舞台にした小説を書くようになった。でもその理解を諦めちゃうと、読者の関心とはどんどん乖離していってしまいますよね。
 

 
──単に、「いまっぽいテーマで、わかりやすく書こう」というだけではいけないと。
 
平野:僕も、多くの読者に自分の小説を読んでもらいたいと思っていますが、ただ目先のわかりやすさだけを追っていてはダメだなと思います。一見、遠回りのように見えても、人間の認知の仕組みと、自分が書いている文体との間の齟齬とか、そういう根本的なところから考え直していかないといけない。それから、当然、いまの時代の問題を読者と共有し得ているかとか。
 
でも、そういうことをしっかり考えていれば、自ずと読者は増えていくんだって、ここ数年やっていて感じます。
 
──「小説とは」というような根本的なことから、考え直さないといけない時代になっている。
 
平野:ですね。やっぱり、表面的なマーケティングだけやっててもね。一発ポンと売れたりすることはもしかしたらあるかもしれないけど、長く活動していこうと思うなら、それじゃダメですよね。
 

感情の断片を収める器が必要だった

──平野さんが小説を書き始めたときのお話もお伺いします。インタビューやエッセイで、17歳で初めて小説を書いたとおっしゃっていますが、どんなきっかけで書きたいと思うようになったのでしょう?
 
平野:きっかけはね、ないんですよ(笑)。ただ、小説が書きたくなったんですよね。まあ、本は読んでいたし、ちょっとした文章を書いたりしていたので、そのうちにもっと長い小説を書いてみたいと思ったのかもしれない、ですけど……。小説家になりたい、なんてことは全然そのときは思ってなかった。
 
──「このテーマについて書きたい」というよりは、小説というものをとりあえず書き上げてみたい、というような?
 
平野:書き上げてみたい、というのともちょっと違うんですよね。うーん……。
 
僕、中学校のとき電車通学してたんです。それで、遅い時間に帰ると、駅のライトが線路を照らしていて。レールの足元は錆びているのに、電車が通る表面は、鏡のようにすごく冴えかえっている。それが、寒い日に、月明かりと駅のライトに照らされて、遠くまでバーって一直線に伸びているのが、すごく綺麗だった。それをなにかに書いておきたいなと思ったんですよね、そのときに。
 
それで、そういうものを書き留めておくノートが必要になって、そこにそうした日常の気づきや思いをどんどん書いていって。そうした断片が積もってきたら、それらがしかるべき形で収まる器みたいなものをつくりたくなったというか。
 
──ちょうど、その器が必要になったタイミングだった。
 
平野:小説って、いくつかの考えが合流して書き始めるものだから、もう一方では、長い物語を書いてみたいという思いもあったと思いますが。あんまり覚えてないですね(笑)。
 

 
──そのときに書いた小説は、友人やお姉さんに見せたんですよね?
 
平野:そうですね。で、誰も感心しなかったから、気がすんで(笑)。いまでもね、一編書き終わると、もうスッキリするんですよね。やれやれ、みたいな。だから、「すごい! 天才的な才能だ!」とかみんなが騒いでくれたら、違ったかもしれないけど、すごい薄いリアクションだったから。「もういっか」と思って、大学受験の勉強を始めました。おとなしく(笑)。
 
──その後、大学に進学して、時間があったからまた小説を書き始めたと。
 
平野:そうですね。京都だと遊ぶところもそんなにないし。
 
で、本が好きだったから。本当は、大学に入学するときに「もう本なんて読むのやめよう」と思ってたんですよ。でも、教科書を買いに行くと、どうしても本が目に入るし、しかも北九州(平野さんの出身地)には売っていなかったおもしろそうな本がたくさんある。それでまた読むようになってしまって、書くようになった。
 
──そのときには、職業小説家になろうという思いがあったのですか?
 
平野:そうですね。自分の中での2作目を書いたときは、小説家になりたいなって思い始めていましたね。19歳くらいでした。
 
──デビュー作の『日蝕』*2は、ご自身の中で何作目にあたるのでしょうか?
 
平野:4作目ですね。結局その2作目はなんかイマイチで。3作目は『一月物語』*3っていう、(デビューから)2作目の作品の原型になるものなんですが、それも当時は未完成だったんですよね。でも、周りがみんな就職活動を始めだして、僕もどうするか決めなきゃいけなくって。それで、次は一生懸命書いて出版社の人に見せて、それが箸にも棒にもかからなければ、おとなしく就職しようかなって思ってました。
 
──『日蝕』を書き上げたとき、手ごたえはありましたか?
 
平野:そうですね。自分でも、割といいんじゃないかと思いました。
 

*2『日蝕』……平野啓一郎さんのデビュー作で、第120回芥川賞を受賞。15世紀フランスを舞台に神学僧の神秘体験を描き、「三島由紀夫の再来」とも謳われた。1998年新潮社刊。

*3『一月物語』……明治30年を舞台に、蛇毒を逃れ運命の女に魅入られた青年詩人の夢のような刹那の愛を、典雅な文体で描いた作品。1999年新潮社刊。2010年には『日蝕』とあわせて、新潮文庫化。

 

やりたいことがたくさんあるし、気がすむまでやめられない

──出版社に持ち込み、デビュー作となった『日蝕』が芥川賞受賞という、華々しいスタートを切られました。そこから多くの作品を発表していますが、平野さんはご自身の作品を、第一期〜第四期と時期で分けて定義していますよね。そういうことをする小説家って、他にはなかなかいないと思いますが。
 
平野:僕が始めたことだと思います。
 
──平野さんの中でやりたいことに変遷があり、それぞれ区切りがついたから、そういうことをされているのだと思いますが、詳しくお話を伺えますか。
 
平野:いろいろな意味があるんですけど。まずね、僕、「国語便覧」を見るのが好きだったんですよ(笑)。谷崎潤一郎だったら、「悪魔主義時代」「古典主義時代」とか書いてありますよね? それがなんか好きだったんです。
 
それに、画家の場合は、数年一つのシリーズに取り組んで、また別のシリーズに入るというのは、割と普通の仕事の仕方ですよね。ピカソだったら「青の時代」「ばら色の時代」「キュビズムの時代」とか。僕はやりたいことがたくさんあったから、そういう風に期で区切っていったほうが、自分としても「もうあのシリーズは終わったから、次のことをやろう」とはっきりするし。
 
読者にとっても、わかりやすいでしょう。第三期や第四期のものを読んで「良かったな」と思う人は、次も同じ期の作品を読んだほうが間違いないと思います。第二期はすごく難解なんで(笑)。そうした、外向きの意味もあります。
 
──なるほど。
 
平野:普通は、作家が死んだ後に文芸批評家や研究者がやることだと思うんですが、それまで待てなかったので、自分でやりました。
 
──各期の中で、やりたいことはやりきって、次に進んでるんですね。
 
平野:そうですね。「やりきった」という感じもあるし、「気がすんだ」感じもしますね。第二期では4冊分続けて中短編を書きましたけど、非常に難解な作品ばかりなので、ビジネス的に考えると、全然いいことじゃないというか……。だけど、やっぱりね、気がすむまではやめられないんですよね。
 
後篇に続く
 

平野啓一郎(ひらの・けいいちろう)さん

1975年生。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』で第120回芥川賞を受賞。以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。著書は小説に、『葬送』、『決壊』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)、『ドーン』(ドゥマゴ文学賞受賞)、『かたちだけの愛』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』、『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞受賞)、エッセイ・対談集に『私とは何か 「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』などがある。2018年9月に新作長編小説『ある男』を刊行。
●公式サイト

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