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来場1万人の音楽フェスの幕を閉じ、「コミュニティ」と「カルチャー」の再構築に挑む TAICOCLUB・安澤太郎さん

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安澤太郎さん(こいのぼり株式会社代表取締役/TAICOCLUB ファウンダー)

音楽やアート、フェスティバルやコミュニケーションが生み出す世界の多様性を喜び、 促進していくための社会プロジェクトとして、2006年に長野県木曽郡の「こだまの森」を舞台にスタートした野外音楽フェス「TAICOCLUB」。

もともと、音楽畑の人間ではない素人同然の有志3人が始めたフェスは、やがて1万人の動員を誇るイベントにまで成長。映画『モテキ』にも登場するなど、音楽シーンのみならず、多くの人を巻き込みながらカルチャーシーンにも多大な影響を与えてきた。しかし、惜しまれながらも2018年に終了。ラストイベントには、常連となっていたサカナクション、スチャダラパー、エゴラッピンといったアーティストたちも登場し、その12年の輝かしい歴史に華を添えた。

そんな「TAICOCLUB」を主宰していたのが、奥渋谷の一角にオフィスを構える「こいのぼり株式会社」の安澤太郎さん。なぜ、彼は自ら種を蒔き、ゼロから育ててきた「TAICOCLUB」を終了することにしたのか? 安澤さんの考える「コミュニティ」と「カルチャー」の本当の意味。そしてこれからのヴィジョンについて話を聞いた。

取材・文=平井江理子
インタビュー写真=中野翼

「消費」ではなく、積み上げていきたい

──TAICOCLUBは熱烈なファンが多く、チケットも手に入りにくいような状況でしたので、突然の終了宣言にはびっくりしました。

長野県木曽郡「こだまの森」で開催されたTAICOCLUB フェスの様子 (撮影:Makoto Tanaka)

安澤:実は、2015年あたりからなんとなく考え始めるようになっていたんですけど、「一度に1万人が参加するイベントより、数十人が継続的に来てもらえるような場所をつくりたい」と思うようになったのがきっかけです。TAICOCLUBを長野県こだまの森で開催していたのも、もともとは地域とのつながりのために始めた側面も大きいんです。「どういうことをしたら、山奥まで人が来てくれるか」とか「地元の人も巻き込めないか」ということを考えていて、なるべく多くの人に都心部から長野に来てもらって、この土地を好きになってもらえないかなと思っていたんですよね。

音楽フェスとしては、ある程度の評価ももらえるようになったのですが、「地域にカルチャーを積み上げていく」ということを考えると、このTAICOCLUBというスタイルを続けていった時に、今以上のものは実現できないんじゃないかと思ったんです。現代は「いかに消費させるか」がメインの時代ですが、これからは「いかに積み上げていくか」を意識していかないと、数年後に振り返った時に何も残らなくなってしまうんじゃないかと思います。

TAICOCLUB フェスの様子(撮影:Ayami Kawashima)

みんなが自分勝手に仲良くなってくれるようなコミュニティが理想

──フェスというスタイルでは、コミュニケーションの機能としては限界があるのでしょうか。

安澤:最近のフェスは多様化してきて、数もものすごく増えてきています。必ずしも音楽好きが集まるイベントではなくなってきているんです。出演アーティストにとっては、演じる場所が増えてきたということなので良いことなのですが、企業がマーケティング的に開催したりと、主体が変わってきているんですよね。「このくらい広告予算かけてるから、集客力のあるアーティストを呼んで、何人にリーチできたか。」みたいになってきていて。

TAICOCLUBを始めた2006年当時はまだフェスも少なくて、自分が好きなものにたどり着きやすかった時代だったかなと思います。ちょうどその頃はmixiの全盛期で、今のSNSのような拡散力はないんですが、ほどよく情報が集まる場所でした。SNSコミュニティのハシリみたいな感じですね。宣伝のために、足跡をとにかく付けてました(笑)。ほどよい規模で同じような感性を持った人が集まってくれるし、お客さんの顔も見えていたんですよね。今のような1万人規模にもなると、お客さんは多様化してきますので、そんな状況を考えた時に、TAICOCLUBとしての違和感を感じてきたんだと思います。

──お客さんがたくさん来てくれた方がいいんじゃないかと思ってしまいますが、冷静に状況を判断されていらっしゃいますね……。素人同然で音楽フェスを作ってしまった行動力もすごいなと思いますが、安澤さんが目指すコミュニティというのはどういったものなのでしょうか。

安澤:そもそも、全部を自分本位で考えるとつまらなくなると思っていて。昔から「コミュニティができたらいいな」という気持ちはあるんですが、「コミュニティに入りたい」とは思わないところがあるんです(笑)。一歩離れたところから、みんなが楽しんでいる姿を見ていたほうが面白い。

自分が何年生きるかわからないのに、老後のこととか必死に考えて生きるのって、意味ないなと思ってるんですが(笑)、「自分がいなくても、楽しく過ごす人や自分を表現できる人がたくさんいる環境」を作りたいんですよね。コミュニティというのは、ある程度のお膳立てができれば勝手にできていくものだと思いますし、みんなが自分勝手に仲良くなってくれるような場所を作りたいというのが、TAICOCLUBを始めた時からの基本スタンスです。

ただ、フェスという形だと、1年に一度は訪れてくれますが、毎年作って壊しての繰り返しで、その他の日はまったく関わりがなくなってしまうというやり方なので、年数的な蓄積はありますけど、結局カルチャーが積み上がっていかないんですよね。

カルチャーを「つくる」場所

──今回のお話の中で「積み上げる」ということがキーワードとなっていますが、具体的にいうと?

安澤:この時代を30年後に思い出した時に何が残るのかというと、「このままでは何も残らない」なと思っているんです。今のインスタントなカルチャーがダメというわけでもないんですが、消費するためだけのものに翻弄されたくないなと。昔の「シブヤ系」や今でいうと「アップル」みたいに時代をつくるものは少なくて、スポットで話題になり消えていく、消費されるもので溢れている時代。そうではなくて、長く残るカルチャーをつくりたい。「広がらなくても、この50人はずっといる」くらいでいいと思うんです。「数は消費しないけれども、語り継げるようなことがある」という環境を作れたら。そのためには、社会的に広がるものを考えるとつまらなくなるので、ただ楽しいと思えることをやっていきたいですね。

いままでは音楽を通して活動をしてきたんですが、もっと多くの人の活動をサポートできるように、これからはアートもやっていきたい。しかも、なるべく「カルチャーがなさそう」と思われている場所を拠点にするのがいいかなと思っています。

いま、いろいろと準備中なのですが、近々スタートしようと思っている計画があります。日本って、都心に近い屋外のライブスペースが意外とないんですよ。野音(日比谷野外音楽堂)くらいなんじゃないですかね。そういう屋外の大きなライブスペースに、すごい巨大なアート作品を置いたりとか、サテライトオフィスがあったりとか、イベントを開催したりできるような日常と非日常が繋がっていく場所をつくろうと思っています。その土地にカルチャー=想いが根付くような場所をつくりたいんです。あまり自分は表に出ず、こういった取り組みに興味がある若者の裏方的な立場で進めていますが、TAICOCLUBを始めた時と同じく、またゼロからスタートな状況を楽しんでいます。

今年の6月に、TAICOCLUB’18を開催。世界の音楽ファンをうならせる出演者ラインナップを見られるのも、これが最後となった

安澤さんに聞いた、奥渋のいきつけ

「昨年まで『タイコカフェ』というカフェスペースを奥渋谷の事務所の隣につくっていました。渋谷にはもともと音楽カルチャーがあって、ライブハウスやクラブも昔からたくさんあったし、「ごちゃごちゃしているけど、いつでも人が集まる場所」だから、最初から事務所は渋谷にしようと決めていました。奥渋谷は、意外と落ち着いた環境だし、お店の人との会話が楽しみで通っちゃうような、魅力があるお店がたくさんあります」

<プロフィール>

安澤太郎(やすざわ・たろう)さん

2006年より13年間に渡り長野県木祖村にて開催される野外ミュージックフェスティバルTAICOCLUBを主宰。
来場者数1万人の日本を代表する音楽フェスティバルの一つへと成長させ、2018年にその幕を降ろした。
今後は日常と非日常を繋ぐ仕組み作りと芸術的視点から社会指標を策定・評価し、芸術性︎を社会に浸透させていくための組織を運営していく。慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科中退。

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