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「面倒臭い」がない世界──『考える葦』(平野啓一郎)より

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「面倒臭い」がない世界──『考える葦』(平野啓一郎)より

『考える葦』平野啓一郎(キノブックス)
(写真=敷地沙織)

 
「オンライン立ち読み」企画の『考える葦』篇は、今回で最終回。
どんどん便利になっていく世の中の背景にある、「面倒臭い」という感覚。平野啓一郎さんはこの「面倒臭い」をどう捉えているのでしょうか……?
 

「面倒臭い」がない世界(『考える葦』平野啓一郎より)

「面倒臭い」というのは、人にあまり感心されない怠惰なつぶやきだが、この感覚には、独特の哲学的な深みがあり、内容も一様でない。
 例えば寝転がっていて、遠くにあるリモコンを取るのが面倒臭いというのは、絵に描いたような怠け者である。しかし、仕事の上で、他に楽な方法があるのに、わざわざ煩瑣な方法を採ろうとしている時の面倒臭いという感覚は、合理的だろう。旧態依然としたシステムの変更を厭うのは、大抵、面倒臭いからで、これは逆に不合理な態度と言える。
 人間関係が面倒臭くなることもある。相手の接触が過剰だったり、会話が要領を得なかったり、こちらが何かと気を遣う場合などは、その関係をできれば避けたいと考える。
 何となく気が進まない、どうしてもやる気が出ないという類いの面倒臭さもある。
 終わったと思った仕事に問題があって、一からやり直さなければならないのは面倒臭い。それでも、意味があるならまだしも、ただ面倒臭いばかりで不毛な仕事もある。
 面倒臭いという感覚の原因は幾つかある。
 一つは時間的なコスト。
 もう一つは、体を動かすことで、これは、明らかな疲労を伴う行動から、先ほどのリモコンの例のように、姿勢を変える程度の行為に至るまで幅広い。
 心の平穏を乱される、というのも、やはり面倒臭さの一因だろう。
 
 こんなことを、今更くどくどしく書いているのも、昨今の最新の商品やサービスに、この面倒臭さの代行という発想が目立っているからである。
 私は出版業界にいるから、どうしても書店とネット書店、或いは印刷本と電子本の趨勢について尋ねられることが多いが、人が書店よりネット書店を選ぶ理由は、結局、その方が面倒臭くないからである。書店に足を運ぶ体験には、書店員の推薦や偶然の発見、社会風潮の理解など、ネット書店では得難い豊かさがあるが、それでも、ボタン一つで本を買え、配達までしてくれるという誘惑には抗えない。私は町中の書店を愛しているが、この身も蓋もない現実を直視することなしに、その未来を考えることはできないだろう。
 
 所謂「出前」を、アプリ一つで簡単に実現してくれるウーバー・イーツのようなサービスも、近所の店なのだから、外に食べに行けばいいだろうと言ってみたところで仕方がない。
 日本ではタクシーの便がいいので、ウーバー本体はあまり成功していないが、海外に行くと、アプリで即座に配車され、現金のやりとりも目的地の説明も必要のないこのサービスは、タクシーよりも確かに面倒臭くない。
 アマゾン・エコーやグーグル・ホームのようなIoT関連商品も、わざわざ音声認識に頼ることか、とも思うが、これなどは、先ほどのリモコンの話のレベルにまで、面倒臭いという感覚のビジネス化が浸透している例だろう。
 中国では2次元コードを用いた電子決済が爆発的に広まっているが、あれに慣れてしまうと、財布を取り出しての小銭のやりとりにはもう戻れまい。
 昨今の若者が恋愛に消極的な理由としても、しばしば聞かれるのは、面倒臭いから、という意見である。
 恐らく今後、人間が何を面倒臭いと感じるかは、虱潰しに検討され、その一々全てが、ビジネスへと転化されるに違いない。
 誰もそれに反対はしないだろうが、その果てに、私たちは面倒臭いことのまったくない世界を想像できるだろうか。
 

出典:『考える葦』キノブックス、2018年
初出:「西日本新聞」2018年1月7日
協力:株式会社キノブックス、株式会社コルク

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