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「「愚」と云ふ貴い徳」の弁護人──『考える葦』(平野啓一郎)より

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「「愚」と云ふ貴い徳」の弁護人──『考える葦』(平野啓一郎)より

『考える葦』平野啓一郎(キノブックス)
(写真=敷地沙織)

 
SPBSの「オンライン立ち読み」企画、現在は平野啓一郎さんの批評・エッセイ集『考える葦』(キノブックス)の一部を公開中です。
今回は、『谷崎潤一郎全集』に寄せた谷崎文学への論考をご紹介いたします。
 

「「愚」と云ふ貴い徳」の弁護人──谷崎潤一郎(『考える葦』平野啓一郎より)

 谷崎文学を読み始めたのは、高校生の頃だったと思う。
 文学への目覚めは、私の場合、三島由紀夫で、その三島が、最大限の賛辞を呈していただけに、谷崎の本に手を伸ばしたのは、極自然な成り行きだった。最初に読んだのは、『刺青』を収録した文庫本だったはずである。
 十代の頃に、何かしら耽美的な、背徳的な香りの作品に惹かれるというのは、それはそれで一つの反抗なのかもしれないが、私は谷崎の中でも、とかく、「悪魔主義時代」などと大仰な言葉で分類されている一時期に興味をそそられた。
 しかし、その代表作である『痴人の愛』を読んだ時の印象は、何とも言えず、妙な感じだった。私が想像していた稀代の「悪女」ナオミは、サロメ的な、もっと恐ろしい女だったが、実際には、「ちゃっかりしている」と笑ってしまうようなユーモラスな人物造形で、主人公の譲治の「おろか」さがまた、それを際立たせていた。
 今でこそ『痴人の愛』は、谷崎作品の中でも最も好きな小説だが、当時は、三島やトーマス・マン、ボードレールなどに夢中だったので、観念的な議論が抑制された谷崎の世界は、やや物足りないように感じられた。──「思想がない」というのは、西田幾多郎の谷崎評以来、生前にもしばしば語られていて、本人はそれに反論しているが。──私が、谷崎文学の思想性を理解するようになったのは、その作品を読み続け、『蓼喰たでくふ虫』や『陰翳礼讃』に行き着いた頃のことだった。
 今、本棚を眺めていると、自分がいつの間にか、谷崎作品の大半を読んでしまっていたことに気がつく。
 私は何よりも、好きで読んでいたのだが、他方で谷崎は、何かにつけてよく話題に上る作家で、読まなければならないという重要性を維持し続けてきたことも大きいだろう。
 京都時代には、谷崎好きの瀬戸内寂聴さんともよく色んな作品の話をしたし、幸運にも渡辺千萬子ちまこさんの知遇を得た後は、銀閣寺近くのカフェに通って、随分と、色んな話を伺った。『細雪』のような大著で、しかも、耽美派としての谷崎というイメージからはやや外れた作品をようやく手に取ったのも、千萬子さんとの会話に出てくる松子夫人その他の女性たちについて、もっとよく知りたかったからである。
 小説家になってからは、改めて手本のつもりで読み返した作品も多く、まったくの空想にせよ、歴史に取材したものにせよ、社会風俗にせよ、実体験にせよ、それをほどよい長さと、十分な読み応えで物語化する谷崎の技法は、比類ないものである。
 私は、顔をモザイクで隠して、匿名で、自分たちの裸の写真をネット上の同好の集いの場に投稿する男女を主人公にして『顔のない裸体たち』という小説を書いたことがある。谷崎が生きていたなら、さぞや興味をそそられたであろう主題で、匿名性という点では同時に安部公房を意識しつつ書いた小説だったが、この作品を好きだと言ってくれた宗教人類学者の植島啓司さんは、「ただ、二人が不幸になっちゃうのがイヤだったな。……」という感想を漏らされた。
 植島さんは、谷崎に直接言及したわけではなかったが、私が咄嗟に思い出したのは、『痴人の愛』 や『春琴抄』だった。そして、谷崎文学の魅力に目を見開かされたような感じがした。
 谷崎は、社会から逸脱し、倒錯した人間関係を、傲然と肯定的に描くのが常だった。「何が悪い?」という、そのたくましい弁護には、人間の豊富な多様性に対する谷崎ならではの思想がある。勿論、『卍(まんじ)』にせよ『鍵』にせよ、必ずしもいつも登場人物たちが幸福な結末に至るわけではない。しかし、だから彼らは間違っていたとは言わないのが谷崎である。
「「おろか」と云ふ貴い徳」が、今ほど貴重な時代もあるまい。
 

出典:『考える葦』キノブックス、2018年
初出:『谷崎潤一郎全集』第二十五巻、中央公論新社、2016年
協力:株式会社キノブックス、株式会社コルク

>>『考える葦』の立ち読みはこちら
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