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SPBSがつくる「みんなの辞典」 #01 奥渋谷

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SPBSスタッフ、読者、イベントゲスト、お客さま……

などなど、SPBSの周辺にいる人たちみんなで“SPBSの辞書”をつくるとしたなら……?

 

SPBSスタッフが、自分たちの辞書の中に残したいと思う「用語」と、その「解説」を記述していく半ば冗談、半ば本気の辞書制作です。

 

文・写真 = SPBS編集部

Word #01 奥渋谷【おく-しぶや】

・SENSE(意味)

SPBS本店がある渋谷区神山町の神山通りを中心に、富ヶ谷2丁目、宇田川町の一部まで広がるエリアの総称。

1923年の関東大震災で被災した人々が渋谷の中心部などから集まったことで人家や商店が増え始め、同様に、第二次大戦の空襲から逃れてきた人々も、当時まだ、比較的土地に余裕のあった神山町の辺りに集まったことでさらに人口が増えたと言われる。1973年にNHK(日本放送協会)が移転してきたことをきっかけに、テレビ番組の制作会社やスタジオ、美術、大道具・小道具、CG、テロップなど、番組制作に関連した会社が集まり、「クリエイティブ・ビレッジ」として発展した。

2000年代に入ると渋谷の繁華街とは趣の異なる通好みの飲食店がこぢんまりと営業するようになり、2006年の映画会社UPLINKの移転、そして、2008年のSPBSの出店あたりから、個性的な飲食店が続々と出店、最近では外国人観光客も多く訪れる都内の人気スポットの一つとなっている。唱歌「春の小川」のモデルになった渋谷川の支川が地域を流れることでも知られる。

 

・COMMENTARY(解説)

イチロー選手がプロ野球選手としてはじめて2,000本安打を達成したとき、「アイツは俺が育てた」という人物が全国に500人くらい現れ、中田英寿選手がイタリアのセリエAで活躍をしたとき、「アイツは俺が育てた」という人物が全国に1,000人くらい現れたという都市伝説があるが、奥渋谷もその存在感が増していくにつれて「俺が名付け親だ」という人物が複数現れている。

諸説ある中で、音楽バンド「ホフディラン」のメンバーで、渋谷区観光大使も務める小宮山雄飛氏の名付け親説が有力だが、確証はない。

「奥渋谷」という言葉が浸透してきたのは、およそ2010年頃と推定される。2008年のインタビューでUPLINK代表・浅井隆氏は「裏渋谷」と呼んでおり、渋谷ヒカリエが開業した2012年頃にはSPBS社内で「奥渋谷」という言葉は定着していたからだ(『ヒカリエが表玄関なら、こちら側は“奥の院”的な存在』とスタッフがインタビューで答えている)。

 

・USAGE(用法)

「──にある、Fuglen Coffee はいつも混んでいるね。」

「──で魚が食べたくなったら、魚力に行かないと。」

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